くりーむわーかー

プログラムとか。作ってて ・試しててハマった事など。誰かのお役に立てば幸いかと。 その他、いろいろエトセトラ。。。

2019年08月

.net MVCで「roslyn\csc.exe」のエラー

最近、どこからか.netMVCをCloneしてビルドすると↓のエラーが出た。

'bin\roslyn\csc.exe' パスの一部が見つかりませんでした

で、これが出たら↓

パッケージマネージャコンソール(ツール⇒Nugetあたり)

update-package Microsoft.CodeDom.Providers.DotNetCompilerPlatform -r

csc自体はc#のコンパイラだったと思うんだけど、これが見つからないってこと?

ちょっとなぞ。

むかーしむかし、IEのDLLホスティングっていうのがありまして、

そん時に確か、何かのDLL使おうとした時にcsc.exeがねーってエラーが出た記憶があるなー。

だから何だって話ですけど。

参考サイト↓

https://kotaeta.com/62165347

禅とプログラミング

最近Python触ってるんですが、

Pythonには「The Zen of Python」っていう設計思想みたいなものがある。

で、禅って割とシステムとか作ってる人に受けがいいのかなーと思った。

スティーブ・ジョブスなんかも禅が好きだったらしいですよね。

Googleも社内研修みたいなのに、禅の瞑想入門講座みたいなのがあって結構人気があるとか。

エンジニアじゃないけど、イチローも禅が好きみたいな話は聞いたことある。

で、禅って何のかなーって考えてみた。

スティーブ・ジョブズの禅の話とかはコノのサイトにちょっと書いてある。

で、その中で、

「彼はマーケティングを一切しなかった。座禅によって自分の中に下りていき、自分が本当に望むものを徹底的に見ようとした。自分の深いところから来るものを作るから、製品は相手の深いところを揺さぶる力を持っていた。自分は一体何を望むのか。それを探るのが彼の究極のマーケティング・リサーチだったのでしょう」

ジョブズが2005年に米スタンフォード大学の卒業式で行った有名な演説がある。「私は毎朝、鏡の中の自分に向かって、『今日が人生最後の日だったとしたら、今日の予定をやりたいと思うだろうか』と問いかける。『ノー』の日が続いたら、何かを変えなければいけない」

「自分に日々問いかけ、その時に本当にしたいことをしなければいけないと言っている。普通はそう思ってもなかなかできない。だって空気を読んで、皆に好かれる生き方をした方が楽だから。しかし、ジョブズは違った。深く下りていき、普段のモノの見方とは違う、もう一つの視点をキープしようとした。そのために坐禅を使ったのでしょう」

という事らしい。。。

仏教的には悟りの体験って事なんでしょうか。

wikiを引用すると↓。

悟りというものは自分の心で自分の心を確認し、自分の心で自分の心を理解するものである。他人に頼って何かを明らかにするとか、自分以外の何かを利用して体得するようなものではない。

悟るためには何よりもまず坐禅の実践によって自分自身と向き合うことが肝要である。

自分の中にあるものを見つめ直す的な。

で、何かを得ようとするんじゃなくて、要らないものを捨てていって、

最後まで残ってるものが大事なコトみたいに考えるのかしら。

Simple is Bestっていうしね。

考えてみるとクラス設計みたいな事にも通ずるものがあるのかなーと。

例えばオブジェクト指向でいうと継承。

継承って、良くある説明だと「犬⇒哺乳類⇒動物」みたいな。

で、親クラスの性質を引き継ぐみたいな感じじゃない?

じゃー犬の性質、動物の性質ってなんなんでしょ?

その概念に必要な性質ってなんだろうか。って事を考える必要があるわけで。

概念を構成するもの、概念に共通しているコトなんかを考えないといけないよね。

そういうものを考えるアプローチとして例えば、

「is-a」、「has-a」っていう関係性を考えるってものがあるじゃない。

is-aは分類的な思考、has-aは分割的な思考ですよね。

分類できるって事は何かしらの共通項があるって事。

継承を考える時はそういう概念的な共通項を見出して、

この概念であるにはこうなってなきゃいけない的にプログラムを構成すると思うのです。

この共通項を見出すって事が、いわゆる本質を探るって事なんでしょう。きっと。

で、共通項を探るためには、不要な要素は全部そぎ落としていって、

最後に残っていったものが共通項みたいな見方もできるじゃない。

なので、禅にも通ずるのかなーなんて思った訳です。

他には、禅はある意味で自分本位の考え方かなと。

他の人がどう考えてるとか、ユーザのニーズがーとかそういう事じゃなくて、

自分がしたい事、思ってる事は何のかってコトを突き詰めていく感じ。

そういう精神性が例えば、The Zen of Pythonなんかだと、

Now is better than never.

やらないよりは今やれ

COBOL作ったホッパーさんが言うところの

It's easier to ask forgiveness than it is to get permission.

許可を得るよりも許しを求める方が簡単です。

って事なんだろうなーと思った次第です。

で、「ニーズに応える」よりも「ニーズを作り出す」っていう事の方が、

インパクトとしてはデカいと思うんですよ。

「ニーズを作り出す」には周りをうかがってても出てこないんじゃないかなと。

自分がしたいと思った事をやってみることで「ニーズが生まれる」じゃないかと思った次第。

もちろん、自分がしたいと思った事が他の人のニーズになる事はきっと稀でしょう。

上手くはまったのが、スティーブ・ジョブズなんだろうなと。

で、自分のやりたい事をやるのが良いんだ、みたいな論調に記事の中とかでは

言ってたりすると思うんですが、多分それは禅ではないよね。

そういう記事に書かれてる事、スティーブ・ジョブズがやってた事、

そういうのを意識した時点で禅じゃないんだろうなと。

あくまでも自分の中で生まれたものが禅なんでしょう。

ジョブズみたいに、やりたい事をやった結果でニーズを生みだす人もいれば、

そういうニーズに応える事にやりがいを感じる人もいるでしょうし。

その人によりけりですよね。やっぱ。

こういう人それぞれの自分の中で大事なコトっていうを尊重してくのが

禅であって、多様性みたいな事なんだろうなと思った次第です。

Python typeでクラス定義を書き換える

なんのこっちゃって感じ。rest_frameworkのソース読んでて、

あー、これはこういう事に使うのかってピンと来たので残しておく。

DjangoのModelもそうなんだけど、シリアライザを作る時に

class CommentSerializer(serializers.Serializer):
    email = serializers.EmailField()
    content = serializers.CharField(max_length=200)
    created = serializers.DateTimeField()

こんな感じで、「クラス変数」にモデルの定義を入れてる。

で、クラス変数ってstaticだから、インスタンス化して使おうが、

結局全インスタンスで共有されてる変数。

でも、DjangoもRestFrameworkもちゃんとインスタンス変数になってる。

なんでかなーって不思議だったんですが、ソース読んでると、

metaclassの定義使って、クラス定義読み込まれる時に、クラス変数を潰して、

インスタンス変数作ってるんですね。

RestFrameworkのソースだと↓の部分。

class SerializerMetaclass(type):
    """
    This metaclass sets a dictionary named `_declared_fields` on the class.
    Any instances of `Field` included as attributes on either the class
    or on any of its superclasses will be include in the
    `_declared_fields` dictionary.
    """

    @classmethod
    def _get_declared_fields(cls, bases, attrs):
        fields = [(field_name, attrs.pop(field_name))
                  for field_name, obj in list(attrs.items())
                  if isinstance(obj, Field)]
        fields.sort(key=lambda x: x[1]._creation_counter)

        # If this class is subclassing another Serializer, add that Serializer's
        # fields.  Note that we loop over the bases in *reverse*. This is necessary
        # in order to maintain the correct order of fields.
        for base in reversed(bases):
            if hasattr(base, '_declared_fields'):
                fields = [
                    (field_name, obj) for field_name, obj
                    in base._declared_fields.items()
                    if field_name not in attrs
                ] + fields

        return OrderedDict(fields)

    def __new__(cls, name, bases, attrs):
        attrs['_declared_fields'] = cls._get_declared_fields(bases, attrs)
        return super().__new__(cls, name, bases, attrs)

で、Serializerの定義が↓

class Serializer(BaseSerializer, metaclass=SerializerMetaclass):

SerializerMetaclassの↓のところ

    @classmethod
    def _get_declared_fields(cls, bases, attrs):
        fields = [(field_name, attrs.pop(field_name))
                  for field_name, obj in list(attrs.items())
                  if isinstance(obj, Field)]
        fields.sort(key=lambda x: x[1]._creation_counter)

attrsにクラス定義でのクラス変数とか入ってて、これが最終的にクラス定義内に

展開されるっぽい。なので、attrs.popでクラス変数として消してる。

消すタイミングで、fieldsって変数に定義を退避してる感じ。

で、typeを継承してて、最後に「return super().__new__(cls, name, bases, attrs)」してる

という感じ。

なるほどー。ってなんか納得した。

pythonでメタプログラミングするならtype継承してクラス定義が作られてるって

知っとけみたいな話見てて「は?」って思ってたんだけど、

こう具体的なtypeの使い方見ると納得できますね。。。

で、↑のが何で便利なのかというと、MVCとMVVMとかで作ってる時って、

View層とのやり取りは専用のViewModel作ると思うんですよ。

バリデーションとか統一しやすいし。

で、ViewModelの定義する時のベースにこれがすごく使える。

一つ一つのフィールドのデータ型を個別に作れるので。

一つ賢くなりましたというお話。。。

CentOS + VirtualBoxでブラックスクリーン

VirtualBoxでCentOS動かしてる時に、

OSの起動ステータスが終わってGUIに切り替わる瞬間に

たまにブラックスクリーンになる。

電源落として何回か上げなおしてみても治らない時の対処。

この症状の場合はOSの起動までは出来てて、GUIの起動でこけてる時。

なので、ブラックスクリーンになったら、

「ctrl + alt + F2」を押す。

それでコンソールになるので、コンソールでログインする。

ログインしたら、「startx」。

で、GUIが起動すると思うので、起動したら再起動する。

※デスクトップのディレクトリ名を英語にするか?みたいなのが出るけどしないにしておく。

これでだいたい治る。何かに引っかかってるんだろうか。

いまいち原因が分からない。

いちを、「/var/log/Xorg.0.log」にGUI起動時のログは出てるんだけど

正常時となんか変わってないような気がする。

そもそも、毎回「vboxvideo」みたいなモジュールがねーってエラーが出てるっぽいんだけど、

ちょっと良く分からないですね。。。

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